QT延長症候群。ICD(植え込み型除細動器)との生活。

LQTSの難病女子。自分にしか生きられない人生を。

QT延長症候群
ICD(植込型除細動器)との生活

働き盛りにLQTSという心臓の難病を発症しながらも楽しく生きている人の記録。

ICD植込みを医師から勧められた日(入院当時の記録)

発病から1年経ちましたので、そろそろ当時の事をまとめておこうと思います。

でないと忘れそう・・・。

 

意識が戻り、ICUで身内と面会。

夫、実家から駆けつけてくれた妹、仕事を終えて来てくれた伯母。

母、息子(実家で母が預かってくれていました)、義父。

実父は仕事で遠方にいたため、遅れて週末に再会。

 

実父、愛娘が倒れたのに帰って来てくれなかったぜ…。

本人いわく、電話で一命をとりとめたと聞いて、大丈夫だろうと思ったらしい。

まあいいんです、生きてまた会えたんですから。

 

目が覚めて当日か、翌日に挿管が抜かれて話ができるようになりました。

(若干記憶がぼんやりしていますが)

そのあたりで覚えているのが、2つ。

 

内科の先生が様子を見に来て、

「あ、しゃべってる」と呟いたこと(笑)

記録上は20分も心臓が止まっていたらしいです。

なので、脳がどんな状態になっているかわからなかったそうで。

実際、入院中に高次脳機能障害の検査をたくさんやりました。

そんな状態だったので先生が驚いても無理はないのかも。

それほど深刻とは、当時の私は知る由もなかったのですが。

 

 

それから、相当に頭がぼーっとしていた記憶があるので、たぶん意識が戻ってすぐ。

主治医の先生がやってきて、病状を色々説明されて、

「手術をしないことには、ちょっと退院させられない」

と言われたこと。

(私まだそういう難しい話聞ける状態じゃないです先生…)

と思いながら、適当に「はい、はい」と答えた気がします。

 

たしか、今胸に入れているICDの本体を見せてくれたような。

後から記憶を整理して理解できたけれど、当時は、

「わお、手術っすかー。なんか大変なことになってるわ」

くらいの感想しか抱けなかった。

 

人生初のICU、人生初の挿管。

倒れたらしいが記憶になく、体中に色々繋がれていて動けない。

 

そんな状態でしたので。

 

回復するにつれて、少しずつ状況を理解していきました。

改めて説明を聞いたり、毎日の診察で少しずつ。

 

何本管がつながっていて、それは何のためか?

脚に巻かれているのは何か?(血栓を防ぐために空気圧をかける装置でした)

横に置かれているモニタは何を意味しているのか?

 

それを少しずつ理解する…前にいきなり「手術!」とか言われて(笑)

ぼーっとしていたとはいえ、

うろたえず、泣きもせず聞いていた自分をちょっと褒めてもいいかな?

 

もちろんそんな状態のときに手術に同意はできませんので、後日改めて。

説明・同意・サイン・準備・手術と続きます。